Sunrise @ Mauna Kea

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Quote of the Day

2008年12月28日日曜日

Communication

「無人の森で木が倒れたとき、音は存在するや」

という昔から問うてきた難問がある...とドラッカーがその著書「すでに起こった未来」(ダイヤモンド社、1994.原題:THE ECOLOGICAL VISION)VI部情報社会第10章で言及し、

正解は「否」である。音波は存在する。しかし、その音波を知覚する者がいなければ音は存在しない。音は知覚によってつくられる。そして、この音がコミュニケーションである。

つまり、コミュニケーションをするのは受け手であることを意味している...

何世紀にもわたって、我々は上から下へのコミュニケーションを試みてきた。しかし、それではいかに熱心にかつ賢く行なおうとしても成功するはずがない。なぜなら、コミュニケーションの送り手が、コミュニケーションを行なうという前提に立っているからである。。

と続き、また、情報とコミュニケーションの関係について、

コミュニケーションは、知覚し、期待し、関与することであり、コミュニケーションと情報はまったく別のものである。しかし、情報が成立するためには、コミュニケーションが必要である。

情報処理を効果的に行なうためには、コミュニケーション能力が必要である。効果的なコミュニケーションがなければ、今日のような状況のもとでは、せっかくの情報革命も、何ら本当の情報を生み出すことはできない。せいぜいデータを生み出すだけである。
さらに重要なこととして、情報システムの可否を決める基準は、どれだけ情報に対する関心から人間を解放し、コミュニケーションに専念させることができるかにある。とくにコンピュータの可否の基準は、(それを利用する人々が)、どれだけ他者との直接の対人関係(つまりコミュニケーション)に時間を割けるようになるかである。[括弧筆者]

コンピュータは人間に情報を与えることによって人間を解放し、情報を手に入れるためより、コミュニケーションに時間をさけるようにどれだけなったかその時間の増減で測られるべきである。

と述べている。

この本を本棚からとりだして、あらためて開いてみる気になったのは、今やだれでもWeb・ブログ、そしてメール/メーリングリストを使うようになり、情報とコミュニケーションが混在しているようにみえる状況で、自分を含め人々の時間が(意外とシステム不在にもみえるなかで)どっちのために使われているのだろうという疑問があったからだ。上の記述はドラッカーが1969年に講演したときの内容ということで、その洞察力のスゴイことを「知覚」するとともに、非常に参考になった。